2019年10月25日「東北旅行・山形編」
18日の朝に仙山線に乗って仙台駅から山寺へ行きました。
私は山形大学工学部に入ったことがあります。
侵入したのではなくて入学したんです。
新しい生活に馴染めなくて次第に学校へ行かなくなり
落第して1年生を2回して
3回目の1年生はナシという規定に沿って退学になりました。
その後、地元の宮崎県に戻って就職しました。
会社独自の勤続25年休暇を利用して
山形に行って、長い時間が過ぎた事を感じてこようと思いました。
山形市に1年間、米沢市に1年間住んでいました。
その間、山形県を観光したことはなかったです。
当時から仙山線に乗って仙台に行ってみたいと思っていたのですが
今回、念願かなって仙山線に乗れました。
仙台駅です。折り返し、山形行の電車になりました。
一番上まで階段が1000段以上あると聞きました。
300段目あたりからつらくなり
500段目あたりではくらくらして
あと500段登ったうえで1000段降りないといけない
出来ればもう降りたいと思って気が重くなりましたが
先の事は考えないようにして登りました。
↑一番上の奥之院です。
麓まで降りて、山寺焼 ながせ陶房へ行きました。
佐賀県の嬉野温泉ひさご旅館で
陶芸家の長瀬渉さん(長崎県波佐見町在住)の
蛙の手洗い鉢を見てから、長瀬渉さんのファンになりました。
それから蛙の一輪挿しを家に飾ったり
青や緑のコーヒーカップを使ったりして楽しんでいます。
長瀬渉さんの実家が山寺にあると知り
次に山形へ行ったなら山寺に行って
九州から来た長瀬渉さんのファンですと
話したいと思っていました。
長瀬さんのお父さん・お母さんは
九州からファンが来たことを喜んでくれました。
山寺のながせ陶房にはお父さんの作品と
渉さんの作品が並んでいました。
妻がお父さんの作品を幾つか買い求めました。
お父さんが、息子に陶芸の事を教えたことは一度もないんですと
仰っていました。
長瀬さんは子供のころからお父さんの傍で見習って
自分で技術を開拓していったのだと思って
驚いてしまってうっかり顔を歪ませてしまいました。
参道の食事処で、芋煮とソバのセットを頼みました。
玉こんにゃくが、味が芯まで染みていてたまらなく旨かったです。
山形に住んでいたころ、私は芋煮会に参加したことは無かったのですが
芋煮が最高に旨かったです。
汁が牛肉の味なのです♪
満腹だったのですが、ずんだ餅も食べました。
昼過ぎに山寺駅から山形駅へ行きました。
大学入試センター試験を受けたとき
数学と理科は点数が取れたのですが、それ以外がサッパリでした。
高校の先生が、山形大学工学部なら もしかすると君を
拾ってくれるかもしれないよとアドバイスしてくれました。
大学によって重視する科目に違いがあって
先生が持っていた分厚い本によると
山形大学工学部の配点に合うということでした。
二次試験に行って、数学の答案5枚のうち3枚はサッパリ分からず
白紙に名前だけ書いて提出しました。
その結果、案の定 不合格だったのですが
3月末に追加合格の知らせがありました。
先生が書いてくれた内申書の賜物だったと今も思っています。
それで、18歳のときに山形駅の東口の階段に立ったときに
まず市役所に行って転入届を出そうと思いました。
しかし市役所がどこにあるのか分かりませんでした。
紙の地図は持っていたのですが、今、自分が向いている方向が
紙の地図の右なのか左なのか判別できません。
分からないことがあったら人に尋ねるように母から言われていました。
思い切って通りかかった方に尋ねたのですが
訛があって何と言っているのか分かりませんでした。
今にして思えば、宮崎人の私にとって山形弁の訛が強く感じるように
山形の方にとって、宮崎人の私が話す言葉は宮崎訛が強すぎて
何を質問されているのかを聞き取るのが難しかっただろうと思います。
それでも親切に答えてくださったのです。
これまでは先生や親の言うとおりにしていればよかったのですが
ここからは自分で考えて行動しないと何も進まないと思いました。
そのような意味で、山形駅の東口階段は私の人生が始まった場所でした。
(それから、山形新幹線開業により駅舎の建て替えがありましたが)
同じ場所に立って写真を撮りました。
レンタカーに乗って
清住町の でん六 山形工場の前を通りました。
山形市に住んでいたころに近くに住んでいました。
昔は工場から豆の匂いが漂ってきたのですが
今は蔵王工場に主力が移ったからか、豆の匂いは感じませんでした。
尾花沢の銀山温泉に行きました。
旅籠いとうや さんにお世話になりました。
日が暮れて、夜の銀山温泉を散策しました。
翌朝(19日)、米沢の上杉神社に行きました。
上杉謙信公を祀る神社です。
そして、上杉神社の隣にあります
私のお目当ての松岬神社へ行きました。
松岬神社には、上杉鷹山公と共に
上杉景勝公、愛の字の兜でおなじみの直江兼続公などが祀られています。
上杉鷹山公は宮崎の高鍋藩 秋月種美の次男として
高鍋藩江戸屋敷で生まれ育ちました。
祖母が上杉家出身だったことで
上杉家の養子になって米沢藩主になりました。
米沢藩は借金を抱えていたのですが、鷹山公が政治改革を行い、
倹約をし、産業を興し、学校を再建し、自ら鍬をふってみせ
農民を激励しました。
それにより、米沢藩は鷹山公の没後に借金を完済しました。
為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり
という言葉を残しました。
端的に言って宮崎から米沢に来た英雄だったのだと思います。
もう本当に済みません。
今回の旅行は、この写真を撮りに行く旅行だったと言ってもよいです。
私は考えもなく、適当に指をさしているだけなので
皆様は鷹山公の指している方向を目指すようにお願いします。
米沢では上杉鷹山公が愛されています。
私はたまたま宮崎から
米沢にある山形大学工学部に入学しただけだったのですが
宮崎から来たというだけで、みんなが私に優しく接してくれました。
米沢の方々の鷹山公への愛情の恩恵を受けたのだと思っています。
最後に米沢牛ダイニング べこやに行きました。
私は山形大学工学部に、大学進学という貴重な機会をもらったのですが
結果的に山形にも米沢にも何も貢献できない人生を送りました。
せめて、米沢で米沢牛を食べて微力ながら経済に貢献したい。
…という、もっともらしくて美しい理由をつけて
鉄板焼のカウンターでフィレステーキを食べてきました。
長旅で、だいぶ胃がやられていたのですが
そんな食欲が落ちているときであっても、旨いものは旨い。
東光の酒蔵で日本酒を買ってから、米沢駅に行きました。
私は今も山形を第2のふるさとのように思い
テレビで山形の話題が流れる度に喜んでいます。
建物は幾らか変わったけれど、今も昔と変わらない雰囲気でした。
長い時間が過ぎたような気が、あまりしませんでした。
私の顔の老け具合のほうが、よほど時間が過ぎたことを感じます。
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8日間の東北旅行で615000円使いました。
会社の勤続25年表彰の副賞を使い、不足分は借金※で旅行しました。
(※自動車買い替え貯金をしており、そこから立て替えました。)
このような旅行が出来る機会は
私の残り人生の中で、多くはないと思いました。
やり直しの利かない旅行だったから
この2か月余り、失敗を避けるために必死に準備してきました。
宿や切符の手配が終わった1か月前からは
もし災害で通れない場所が出来た場合の
代替ルートまで事前に調べていました。
台風19号の中での出発も、焦らず落ち着いて行動できました。
沢山の良い思い出が得られました。