2019年9月18日「グスコーブドリの伝記を読みました」
外出先で時間があったので
宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を読みました。
宮沢賢治が好きで花巻へ行くのに
作品を数点しか読んだことがありません。
私は文章を書くときは得意げなのに、文章を読むのが苦手なんです。
東北旅行出発まで残り一か月を切りました。
それで浮かれて宮沢賢治、賢治って検索していたら
グスコーブドリの伝記というタイトルが目に入って
気になったので読んでみました。
ブドリが沢山のヒトの役に立つと思う事をして死んだ話でした。
誰かに言われて嫌々やって死んだ訳でも
誰かにそそのかされて勢いでやって死んだ訳でもなく
自らやりたいと思い、率先して周囲を説得して
自分の思い通りの事をして死んだようでした。
イーハトーブの農作物と農家、その作物を食べて生きている人たちを
冷害と飢饉から守るためには炭酸ガスを放出する特性のある火山を
人工的に噴火させてイーハトーブを温暖化すればよいと考え
起爆ボタンを押すために火山島に独り残って死んだのだろうと思いました。
文章の中に出てくる「歴史の歴史ということの模型」という言葉が
気になりました。
歴史とは何かを表す櫓の形をした模型で
模型の"とって"を1度回すと船の形に変わり
もう1度回すとムカデの形に変わります。
同じ出来事であっても、Aさんに"とって"は櫓のように見えて
Bさんにとっては船、Cさんにとってはムカデに見えた
ということだと思います。
歴史は書き残すヒトの立場によって形が変わってしまうものだと
読み取りました。
宮沢賢治の話には
沢山のヒトの役に立って死んだなら最高だと考える話が
いくつかあったと思います。
毎日の食事で沢山の命を頂いて生きのびているのに
自分が死ぬときには誰の命にも貢献しないとしたら
自分には価値が無いということだと思います。
賢治自身が東北の農業を改善したいと思って農学校の教師をしたり
教師をやめて自分で農業を始めたり
肥料製造に挑んだりして病気になって療養し
晩年にブドリの伝記を書いたことを考えると
賢治自身がブドリのように生きて
沢山のヒトの役に立ちたかったけれど
思い通りにはならなかったのだろうと思います。
ブドリの伝記はブドリの人生に好意的な宮沢賢治が書いた伝記で
英雄伝になっているのですが、話の中で
ブドリの事を良く思っていない人たちの事も書かれています。
それらのヒトに構うことなく、やりたいことをやって死んだ。
正義の味方も悪党も、ヒトの忠告を聞かずに
やりたいことをそのままやってしまう点で同じように思います。
火山を噴火させたら灰が積もって
そのせいでダメになる作物もあったのではないかと思いました。
ブドリが火山を噴火させたことで
沢山のヒトの生活が守られたという
ハッピーエンドの結末の書かれ方に違和感を感じました。
宮沢賢治以外のヒトがブドリの伝記を書いたなら
まるで別の物語になるのだろうなと思います。
タイトルにわざわざ「伝記」と書いていたり
歴史の模型のエピソードが出てきたりして
物語の見えようがガラッと変わる鍵が埋め込まれている所に
深みを感じて好きになりました。